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親父の遺言

今日は「親父の命日」です。

目次

1.バチスタ手術

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俺の心の中にいる親父の面影は絶対に色褪せない。

そう思ってた。

ふつうに元気がでてきたお袋も毎日が楽しそうで、

息子も成長して10才になり俺も一丁前に親父づらで、

ママ友に子供にかみさんも毎日せわしそうで、

 

年を重ねれば重ねるほど足早に

日々刻々と淡々と過ぎていく時間の中で

みんながみんな何ごともないのだけれど

時にはいそがしく、時にはのんびりと

笑ったり、泣いたり、怒ったり、拗ねたり

 

なんだかんだで過ごしてきた10年間

 

やっぱり色褪せた

 

思い出すことも

ほとんど無くなった

 

もしも俺が親父みたいに死んだ時には

そうなるんだろうと思うと

生きてるうちはやっぱりなんか寂しい

 

だからこのブログを見ると寂しい気持ちにならないように

親父のこと、書いておくことにしたよ。 

俺が生きてきた30年の間は、親孝行なんてしたことがなかった。

20歳そこそこで家を出て、一人で暮らしはじめ、今の彼女(妻)と出会う30歳になるまで、色んなことが重なりあって、反抗的で、実家に帰ることもなく、親とほとんど顔を合わさなかった…。

 

彼女と出会い、無理やり親の所に連れて行かれて…。

初めは気取りと照れくささで

会ってもほとんど会話をしなかった…。

だけど…。

彼女に無理やり話す機会を作られて…。

少しずつだけど…だんだんと…。

まともに親と話せるようになっていきました…。

 

だから、腕っぷしが良く、力強かった親父が

ひとまわり小っちゃくなってしまって

 

俺自身が『あれっ!?親父ってこんなんやったっけ!?』

そう感じてからしか俺は、親孝行というものをしなかったのです…。

そんな風に、孝行というものを意識し始めた俺が30才を越えたあたりから、親父は、心筋梗塞脳梗塞にかかって、入退院の繰り返しとなった。

 

俺が遅すぎる親孝行を始めようとした矢先に、親父の心臓に限界がきて。

生きるか死ぬか、一か八かの、成功確立が極めて低い『バチスタ手術』という手術を受けることになった。

 

もちろん、そんな確立の低い手術には、家族全員反対だった。

 

だけど親父は

『俺は孫の顔が見たい…。絶対孫に会いたいんや!!!!!』

『お前らのことやでまだいつになるかわからんけど、いずれお前らに子供が授かって、元気に生まれてくる孫と遊んでやりたい…。だから、俺は、今、死ぬわけにはいかんのや!!!!!』

『もっと生きなあかんのや!!!!!』

『だからこの手術は受ける!!!!!』

聞く耳を持たなかった。

 

2.神奈川県の葉山

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そこで俺は有名な医師のもとへ

『バチスタ手術』をしてもらうために

片道5時間の神奈川県は葉山にある

葉山ハートセンターの医師のもとに

親父を連れて行くことになった。


おれたちは、仕事があるため、週に1度しかココには来れず

初めて葉山に行ったこの時もすぐに名古屋に帰ることになった。

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親父は『俺はひとりでええから、はよ帰り。お前(俺の事)は長距離運転したことないから、気をつけなぁあかんぞ。眠くなったら止まらなぁあかんぞ。おっちょこちょい(そそっかしい)やでゆっくり帰れよ…』


自分がこれから生きるか死ぬかの大手術をするというのに、そんな時まで人の心配ばぁっかで…。

 

自分のことよりも他人の事を一番に思う親父の特徴的な優しい言葉だった…。

3.心臓 

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しかし皮肉にも連れて行って数日後


俺の携帯が鳴り…。


手術をする前の検査の段階で…

 


『親父の心臓が止まった!!』


あまりにも突然すぎる連絡が入った。

 

『えーっ!!!!!』

 

『えーっ!!!!!』

 

『うそや!!!!!』

 

携帯に向かって先生に発狂して嗚咽して震えて

 

わけのわからない言葉と涙がとめどなく溢れるばかりやった…。

 

 

夜の10時頃だった。

俺は泣きながら車を飛ばし

 

深夜5時間の道のりを駈け抜けた。

 

海岸沿いを南におりて

まだ水平線から日も出ていない朝の4時頃

 

神奈川に着いて先生に話を聞くと

『電気ショックや人工呼吸などで、20分くらいして、心臓は動き始めたのですが、意識が戻らぬままで…』とのこと。

 それから数日が経ち…

 

 

正常な状態でおこなっても極めて低い確立の手術なのに…

俺の親父は、心臓が止まり、

再び心臓は動いたが、

意識のない状態のまま緊急手術に入っていくことになった…。

 

そして12時間の時が過ぎ…。

 

この『バチスタ手術』は成功したという…。

しかし

 

現実的に成功した!とはいうものの

親父の意識は戻らず

ICUという部屋で

心臓はよく動くように補助する機械をつけて

呼吸をも補助する機械をつけて

 

目を閉じて、ただ『ぷしゅう、ぷしゅう』と音を立て

ただただ息をしているだけだった。

時々意識が戻っても、

記憶はなく、

家族の顔を見てもなんの反応もしない

 

ときおり幻覚や妄想を見るようで

『虫がおる-。むし、むし』や『うわっ、うわぁ-』と叫ぶか

『いつもすいませんねぇ…』とか『そちらへいきますよ…』

『どちらさんですか…』と呪文のようにブツブツ天井に向かって

誰かと話しているかだけやった。

 

4.苦痛な面会

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俺達は仕事があるため、それから毎週毎週往復10時間以上かかる道のりを、お袋と彼女を乗せて葉山に向かった。

ICU(集中治療室)で、たとえ家族でも、一日のうち朝の9時からと夕方の16時からのたった15分間しか許されない時間の為に、意識のない親父に…意識があっても俺たちの記憶がない親父に…会いに行く…。

そんな日常が続くことになった。



行きは

意識が戻ってるかな!?

おれらのこと分かるかな!?

おれら家族が呼びかければ絶対戻るって!!!!!


…などという期待はあるものの



帰りの道のりは

意識戻らんかった…

 

絶望感のみ。



お袋も彼女も窓の外をボーと見てるだけで…


俺はだたひたすら前を見て運転しているだけで…

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毎週毎週

寂しげな富士の山を背に

車中の重い空気を名古屋に持ち帰るだけだった。

5.親父の笑顔

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俺らが通う半年もの間で、俺の親父は、2回だけはっきり意識を取り戻した。


1度目は、俺たちが親父の寝顔を見ているとき

『まごぉ~』と大声を上げた。

『どうした~』と言うと

『まごが悪さしよるから追っかけとるんや!』

『あかん、そっちに行ったら…こらぁ~!』と。

しかし親父に俺たち家族の記憶はなく

俺たちの顔を見ても『看護婦さんかね、先生かね』としか呼んでくれない状態だった…。


2度目は、俺たちの名前を確実に呼んでくれた。

俺たちの顔を順番に見て、ゆっくり眺めて

そしてやさしい笑顔でニコニコ笑って

お袋、俺、彼女と

順番におれたちの名前をはっきり呼んでくれた。

俺の彼女の名前をわざと、とぼけて知らない振りをするジョークまでつかって…。

最後に、ばあちゃんの名前もはっきり答えてくれたな。

その日の夕方の15分という時間は…

俺たち家族をすごく幸せな気持ちにさせてくれた。

終始笑って未来を語り合った素敵な時を過ごした。


手術してよかったなぁ。

またこれで、家族で笑って話し合えるなぁ。

ばあちゃんにも報告しなきゃなぁ。

喜ぶぞぉ。

親父に孫の顔、見せてあげなきゃなぁ。



久しぶりに家族のあったかい『ぬくもり』ってやつを感じた瞬間だった。

 

 

『また来週くるからな』

 

明るく親父に言うと

 

『うん…うん…』

 

親父はしっかりと

 

そしてゆっくりと

 

俺たちの顔を順番に見て

 

無言で優しく笑ってゆっくりうなずいた。 

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しかし、


その次の週には、また記憶がなくなっていて…。


とうとう、

 

親父の意識が戻ることはなく…。

 

当然、

 

親父の優しい笑顔をみる事もなかった…。

6.生きるとは

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ある日、先生に、俺だけが別室に呼ばれ…


呼吸と心臓の補助機械をつけていても、鼓動が弱くなってきています…。 

回復の兆しがなく、我々も手は尽くしているのですが…。

このまま機械をつけていれば生きておれるのですが…。


みたいなことを言われた。

 

(精神的にも肉体的にも疲れきっていた俺には、その時の言葉はあまり記憶にない…)

 

『呼吸をするのを機械で補助』

 

『心臓を動かすのを機械で補助』

 

『これで親父が生きているというのか?』

 

そんな疑問が…俺たち家族…いや…俺を襲った。


確かに医学は進歩して、人間が長生き出来る様になった。


医学が発展して、心臓が動くように、呼吸ができるようになった。

 

しかし

 

高度な機械をたくさんつけて


心臓を動かす


肺を動かす


脳を動かす。

 

それが自分の力で生きるということか…

喉から突き刺したチューブによって呼吸させられている親父。

足から突き刺したチューブによって心臓を動かされている親父。

頭と両腕と腹と太ももにはたくさんの配線がつけられている親父。

 

むくんだ肉をまとったロボット。

 


目は閉じているか白目をむいているか。

 


息はしている…。心臓も動いている…。

 

7.俺の決断

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それから数日の長い長い時間が流れ…

 

俺は、悩みに悩んだすえ…

 心臓の補助機械をはずしてもらうよう先生に依頼してしまった。

はずして、その日の夜、親父は息を引き取った。

『おとうさん、おとうさん、おとうさん』

『ひとりにしないでよぉ』

『さみしいよぉ』

『おとうさん、おとうさん、おとうさん』

『今までどこへも連れてっとらんかったで』

『これから色んなとこ連れてってやるって言ったやぁん』

『おとうさん、おとうさん、おとうさん』

『温泉行くっていったやん』

『紅葉見に行くっていったやぁん』

『うまいもん食べに連れてってやるっていったやん』

『おとうさん、おとうさん、おとうさん』

『孫の顔みるっていったやん』

『孫と遊ぶっていったやぁん』

『まだ、はやいよう』

『いやだよう』

『さみしいよう』

『一人は嫌だよう』

『あたしさみしいよう』

『おいてかないでよう』

『いやだよぅ…』

心臓の鼓動が弱まって

 

心臓が止まるまでの間

 

それまでは全然平然を装っていたお袋が 

 

大粒の涙とともに

 

そのお袋の口から親父への愚痴が

 

機関銃のように院内に響き渡っていった。

『親父ありがとう』

『親父かっこよかったよ』

『親父の息子でよかったよ』

 お袋の愚痴の合間に

面と向かって言ったことのない言葉が

機械的かつ形式的に俺の口からこぼれる。

 

30数年間連れ添った親子と30数年間連れ添った夫婦との違いか…。

はたまた男と女の違いか、親子と夫婦の愛の違いか…。

俺とお袋の言葉には、なにかしら相反するものがあった…。

 

この時、もうすでに取り返しはつかないが…

 

俺は自分自身でくだした決断というものに…

 

かすかな疑問が生じる事になってしまった…。

平成20年6月16日

親父は安らかに眠りについた…。

その日はもう遅く…

翌日、何ヶ月か振りに…

親父と一緒に地元に帰ることになったため…

その日は、親父をひとり病院に置き去りに…

俺たちは近くの旅館に泊まることになった。

 

 

家族それぞれが…何も語ることなく

 

 

ひとりひとり思いに浸って…



ただただ布団の上で…



歪んだ天井を眺めているだけで…



静かに…



ゆっくりと…



長い夜が明けていった。

8.親父が残してくれたもの

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親父の遺言ってのは、聞けなかったが。


親父が意識不明になり残したもの…

 

親父は…

 

長距離の運転があまり好きではなかった俺に、10時間の長距離を運転できるようにしてくれました。

 

親父は…

 

互いに気を使ってぎこちなかったお袋と俺と彼女との距離を、同じ空間にいる時間をできるだけ長く持たせてくれたことで、その距離を限りなく縮めてくれました。

 

親父は…

 

どんなにがんばっても授からなかった俺と彼女との間に、親父が死んで11ヶ月後に、俺らの息子として、この世に生まれてきてくれました。

 

『ありがとう』

9.しあわせ

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俺はそんな親父の無言の遺言を受けて

お袋と彼女の為に、親父が出来なかったこと

 

お袋と彼女の為に、親父がしてやりたかったこと

 

俺と親父との間に、お互いが語りたかったこと

それを俺がかわりに受け継いで

お袋と彼女を温泉につれていき、桜を見て、紅葉を見て

ふたりにさみしい思いをさせずに

俺はふたりの為に生きていこうと決めました。

生まれてきた息子とたくさん、色んなトコ行って、色んなモノ見て、この子とたくさん語り合って、

俺はこの子の為に生きていこうと決めました。

今、親父は、親父の大好きだった俺の彼女と毎日過ごせて…

今、親父は、親父のしてやりたかった俺のお袋と温泉に行けて…

今、親父は、互いにあまり話すことの無かった自分の息子とたくさん話せて…

『幸せだよなぁ』

2年という長く哀しい月日が過ぎ去って

 

やっとそう思えるようになりました。



同時に、



俺が先生に『機械をとめてください』とお願いしたのは

 

『良かったんだよなぁ』

 

2年という長く空しい月日が過ぎ去って

 

やっとそう思えるようになりました。

10.たった1日だけ

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俺が天国の親父にいつもお願いしていること…

お袋と彼女の為に、親父が出来なかったこと

お袋と彼女の為に、親父がしてやりたかったこと

それは、親父に誓って、必ず俺がします。

だから、せめて、彼女より1日だけでいいので長く俺に命を下さい。

彼女はお袋ほど強い女ではありません。

 

親父がお袋を甘やかしたように、

俺も彼女を甘やかしているので、

彼女達は一人じゃなんもできません。

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あんな強いお袋でも、

 

『おとうさんとおったら…』

『おとうさんがみたら…』

『おとうさんはね…』

 

目を潤ませて、ふと今でもまだまだ寂しい顔を時折見せます。

 

やっぱりお袋にとっては、息子の俺では役不足なとこはあります。

 

やっぱりお袋にとっては、親父でないとダメなときはあります。

 

俺は、彼女に、この寂しい思いだけは絶対させたくないのです。

 

だから俺は、たった1日だけでいいので…

彼女より長く生きたいと思っているのです。

11.天国の親父へ

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親父へ

俺は、金も、遊びも、女も、なんもいらんから

1日だけ、たった1日だけでいいので…

彼女より生きられる寿命が欲しいです…

この1つだけでいいので俺の願いを叶えて下さい。

天国から見守っててね。

これからもヨロシク。

息子へ

俺は親父と、深く語りあったことはないし

俺は親父と、酒を飲み交わしたこともない

だから、仲良くしよな。

だから、大きなったら酒飲みにいこな。

おまえの母ちゃんはおまえに面倒かけることなく

最後まで俺がしっかりみるから安心してな。

これからもヨロシク。

まとめ(最後まで読んでくれた方へ)

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『家族』っていうのは、他人と違って、本心で話せるし、遠慮もなくなるので、その分色んな出来事が起こると思います。それでもやっぱり自分が自分で選んで築き上げた家族』っていうのは、自分自身の一生涯という時間を全部つぎ込んでも、絶対に大切にしなきゃいかんことだと俺は思います。

家族だと遠慮なく何でも言えちゃうからね。

その中でも「思いやり」の気持ちが大切ね

そして家族を大切にするのにも、友人と楽しむにも、自分の人生をよりしあわせなものにするにも、やはり「自分の身体が健康であること」「自分の身体にストレスをかけないこと」が大切だと思います。

まずは下記のことを心がけてみましょう。

自分の身体をいたわってあげてね。

  1. 病は気からという言葉もあるとおり、何事もプラス思考で色んなことを考えすぎず身体と心に負担をかけないように心がけること。
  2. 暴飲暴食を避けてしっかり睡眠をとる身体を休ませてあげるよう心がけること。
  3. 何か身体の不調を感じたときは定期的な検診や早めの病院の受診で病の早期発見を心がけること。

大切な人を守るために、まずはこういった自分の身体をいたわり守ってあげることが一番大切だと思います。

語られることのなかった親父の遺言を心にしっかりと受け止めて

俺は俺の人生を

ひっくり返るくらい

上を向いて

笑って泣いて怒って楽しんで

歩いていこう

思っています。

長い文章を読んでくれてありがとう。

今日も良い一日を。またね。